笛吹レトロスペクティブ

日常の風景に埋没して見過ごされがちな年代物の建築や物を見つけて紹介していくコーナーです。それらが経てきた歴史や人と寄り添ってきた歳月が語る古き時代の新しい発見。笛吹リスペクトの企画です。

File2金地蔵と伝説

金地蔵と伝説

笛吹市八代町北地区、若彦路と塩田街道が交差する辻に、石を積み上げた小さな塚があります。そこにはお地蔵様や観音様など、大小8体の石仏が祭られています。脇には大きな看板が掲げられ、ここが「金地蔵と黄金長者伝説」という史跡であることがわかります。

旧街道の辻にある小さな小塚

脇に立つ看板

馬頭観音と地蔵菩薩を中心に、大小8体の石仏が祭られています

黄金長者の伝説

看板によると、はるか昔、このあたりに黄金長者と呼ばれるお金持ちが住んでいて、風流を嗜み人望も厚い人だったようです。この長者が街道を行く旅人の安全を願って、辻の小塚に立派な地蔵を建て、なぜか地蔵の背中に「不二三里有金」と刻んだと書かれています。後に旅の六部(行脚僧)が像の背中に刻まれた文字を不思議に思い謎解きをした結果、背中の文字は「お地蔵さんの右足にお金がある」という意味だとわかり、お地蔵さんを背負って富士川の河原まで行き、右足からお金を盗んで姿を消しました。打ち捨てられたお地蔵さんは、拾われて興津の清見寺に納められたという事ですが、像を盗まれた長者の家は不幸が続き滅びたそうです。その話を知った村人が、小塚の場所を金地蔵と名付けて石像を建立し、馬方衆も馬頭観音を作って供養祭りを行ったそうで、今も観音祭りとして地域の人に受け継がれているということです。

これを読んで、謎がでてきました。
その一、長者はなぜ地蔵の背中に「不二三里有金」と刻んだのか?
その二、旅の六部は行脚僧というのに、そんなあくどい事をするのか?
ひとつ目の謎は八代町誌を調べると、ほぼ解決しました。

不二三里有金は子孫へのメッセージ

第一の謎は、町誌に書かれた黄金長者の伝承に答えがありました。それによると、長者は自分の持っている黄金を地蔵の中に隠すことを思いつき、子孫にそれを教えるため、背中に例の6文字を刻んだということのようです。ここで気になることは、町誌の記述では黄金を「金」地蔵に隠したと書いてある点です。これが金地蔵だとすると長者が建立したのはそもそも金地蔵という地蔵だったわけで、もしかしたら金ぴかの純金で出来ていたかもしれず(それじゃ黄金を隠す意味もない)、とにかく金属製の地蔵だった可能性があります。現在は石のお地蔵さんが馬頭観音と並んで立っていますが、果たして長者の時代はどうだったんでしょうか。看板にもあるように「小塚の場所を金地蔵と名付けて石像を建立し」たのですから、やはり伝承後に金地蔵と呼ばれるようになったと考えられます。町誌の「八代町小字の名称」には、北地区に「金地蔵」という小字が明記されています。住所表記には現れない小字ですが、その地に住む人にとっては伝承と共に大切な地名です。

六部は僧というより巡礼者?

第二の謎、六部という行脚僧についてネットで調べたところ、六部は六十六部と言い、全国66カ国を巡礼し霊場に法華経を1部ずつ納める巡礼者のことで、後には一般人の廻国巡礼者もあったようです。黄金長者の話がいつの時代か定かではありませんが、中にはけしからん輩もいたのかもしれません。罰当たりなことをしてお金を盗んだ六部が何の報いも受けず、善人の長者が衰退していくのも理不尽な話です。後日譚として、村人によって供養されたというオチが唯一救われる話かもしれません。しかし深読みすれば、富をお地蔵さんの中に隠すような行為が、長者に不幸を招いたとも言えます。あるいは、そんな行為を戒めた説話なのかもしれませんね。ちなみに打ち捨てられた地蔵を納めたという清見寺の公式ウェブサイトには、それらしい事は書かれていませんでした。

磨耗が激しく、正面のお顔は輪郭もおぼろな馬頭観音像(文化財評価はこの石仏が一番高いようです)

見守り見守られる

この金地蔵の小塚は地区のみなさんによって守られています。三浦かつよさんは、代々ここの管理をしている三浦家へ嫁いでから、ずっとお世話をしています。周辺の掃除や植え込みの手入れ、お正月の松飾りやお供えなどもするそうです。季節によっては、朝晩だけでなく一日に何回も掃く事もあります。今年95歳になられるという三浦さんは、「汚れていたら嫌だし、自分の身体が元気な限り続けたい」と語ってくれました。「観音祭り」についてお聞きすると、数年前からお花見に変わったそうです。夫の久雄さんが60年前に植えた桜が二本あり、一本は毛虫の食害がひどく切ったのですが、花の時期にはたいそう見事に咲くとの事。桜の頃を見計らい、地区のみなさんが話し合ってお花見の日を決め、当日はちょうちんを飾ったりご馳走を持ち寄り、小塚の前でお花見をするそうです。地域のお祭りは生活の多様化やコミュニティが希薄になっていく中で、次第に失われつつあります。しかしこの観音祭りは(本来の姿を変えていますが)、風流を愛した黄金長者と心を同じくして桜花を愛でる事が、あるいは何よりの供養であるのかもしれません。三浦さんはここで子供が遊んでいても怪我をしないという昔からの言い伝えを教えてくれました。それはお地蔵さんや観音様が子供を守ってくれると信じられてきたからでしょう。

小塚に祭られているのは、地蔵菩薩(宝永3年=1706年)1体・馬頭観音(安政5年=1858年)1体と小さな馬頭観音が5体の他、子待供養塔(天明5年=1785年)という石像物です。時代も江戸時代から以降のものですが、小さな馬頭観音像はあちこち欠損や風化もあります。いずれも「金地蔵の石造馬頭観音立像附石仏群」として、笛吹市の文化財に登録されています。(取材:ちゃめ/2012.2)

春にはみんなでお花見をする桜の樹

地域や道往く人を見守り続けています

長年にわたって管理を続けている三浦かつよさん(95歳)


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懐かしい年代物求む!

身の回りに埋没している物や見慣れすぎて存在すら忘れてしまった古い建築物、楽しく懐かしい思い出の品や記憶の深海に眠る風景など、エピソードと共にお寄せください。速攻で取材に参ります!

【File1】 ひだまり公園のベンチ

 

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