3.11鎮魂の灯

2014年3月12日UP

平成23年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とする巨大な地震が発生、大津波を引き起こし、そしてたくさんの尊い命が失われました。

3年目の3月11日を迎えました。
・・・「あれから3年」「まだ3年」・・・
日本各地で地震が発生した同時刻、黙祷が捧げられ、半旗が掲げられ、世界中からも哀悼の言葉が届きました。

御坂町大野寺、福光園寺で『ともしびプロジェクト(※)』山梨支部を中心に『3.11キャンドル・ナイト』というイベントが行われました。
お堂の前に置かれたロウソクの火を囲むように参加した人たちが円を描き、副住職の真言を唱えるのに合わせ祈りを捧げた。

※『ともしびプロジェクト』とは宮城県気仙沼から広がったコミュニティ。
震災で多くの人が亡くなられた3月11日の月命日である毎月11日に合わせて各地でロウソクに火を灯し、祈るプロジェクト。

3年前、震災直後。
大勢のボランティアが被災地へ訪れ活動される姿が目立ちました。
『絆』という言葉が盛んに叫ばれ、人と人とが寄り添い想う心の輪が広がっていきました。
しかし、一方で東京電力福島原子力発電所の影響で農作物の風評被害が広がったことも事実です。
被災された人々は、家族を失い心の傷が癒えぬまま復興に向かい頑張っている方、帰る家・帰れるはずの家に入れない方がほとんどだと思います。

少し話が脱線しますが、先月14日山梨県では観測史上最多となる積雪を記録した雪害により、交通網は麻痺し、物流は遮断され、正しく陸の孤島となりました。 死傷者も数名でました。
産業では、農業において発表されているだけでも推計およそ171億円といわれており、倒壊したビニールハウスがまだ目立ちます。
通りの雪かきを近所で助け合う姿が見えました。
軽はずみなことは言えませんが、震災を教訓に共助の精神が芽生えたのかもしれません。

昔の世の中は、「3軒両隣」「助け合い」なんてことは当たり前だったはずです。
戦争を経験し、戦後復興を経験してきた人々に取材させていただいたとき、同じような話をしていただきました。
「あの頃は、一面焼け野原で今よりも物が無かった。生きるの必死だった。それでもみんなで助け合い乗り越えていった。」
それがいつの間にか近所の付き合いや世の中が「希薄」となっていきました。

今、我々に何が出来るのか?
「忘れない」ことかもしれません。
亡くなった人々を想うこと、自然災害の脅威、助け合う心・・・。

「何か小さなことでもいいから誰かの役に立ちたい。」
誰しも当たり前に思うことじゃないでしょうか?
些細なことでも、実践できます。
今からでも、明日からでも遅くありません。
『絆』は紡ぎ続けていかなければ、人々の心の輪は解けてしまいます。

ともしびプロジェクト
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