「空蝉」

セミの抜け殻

空蝉を とらんとおとす 泉かな (飯田蛇笏)

空蝉(うつせみ)とは蝉の抜け殻のことですが、元々の意味は、この世に生きている人間の古語「現人(うつそみ)」のこと。そこからから転訛し、この世は蝉の殻のように儚いものだからと、この字が充てられたようです。古くは万葉から逝く夏を惜しむ景物として歌に詠まれてきました。上記の句を読んだ俳人飯田蛇笏は笛吹市(旧東八代郡境川村)出身で故郷の自然の中ですぐれた作品を生み続けました。写真はその生家近くの「藤垈の滝」のヤブランに着いた「空蝉」。句の中の泉がこの場所なのかは判りませんが、一見無邪気な句なのですが、蛇笏が子供を戦争で亡くしていることや、八月という時期を考え合わせると、空蝉が「命」「世」「人」の枕詞であることを考えさせられます。(三言居士/2010.8)

 

 

【空蝉】

セミの抜け殻

 

 

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