甲斐国分寺跡周辺を歩こう!

『甲斐国 千年の都、笛吹市…』
みなさんご存知の通り、笛吹市には貴重な史跡、文化財が沢山あります。でも…、いつも側を通っているにも関わらず、実はよく知らない…なんてことありませんか?少し知識があるだけで、いつもの散歩がより楽しくなったり、お客さんを案内してあげたくなったりするものです。郷土への愛着も、ぐっと増すことでしょう。

そんな笛吹市の魅力を再発見するお手伝いをしてくださるのが、ボランティアガイド笛吹の皆さんです。今回は、市の教育委員会文化財課の皆さんも同行されて、甲斐国分寺跡周辺の史跡を巡るイベントが行われました。笛吹市の歴史について、もっともっと知りたい私も、参加させていただきました!

国分寺史跡内

国分寺跡史跡内。のどかな風景の中を歩く

参加者

国分寺跡に集合した参加者

史跡マップ『文化財を訪ねよう』

いいでしょう?このマップ片手に市内を散策したいな…

ボランティアガイドふえふきの皆さん

ボランティアガイドふえふきの皆さん

塔の礎石

塔の礎石についての解説

2009年12月5日、午前9時。一宮町の国分寺跡に集まった参加者たちに、市の文化財課の方から、笛吹市の史跡マップ『文化財を訪ねよう』が配られました。刷り上ったばかりというそのマップは、耐水性の紙に印刷されているので、あちこち持ち歩いても丈夫です。小さな文化財まで詳しく書き込まれていて、歴史好きの人ならきっと欲しくなりますよ!笛吹市役所と各支所で、年明けから入手できるそうです。『文化財を訪ねよう』のシリーズは、現在2種類ですが、今後も次々と発行される予定です。楽しみですね。

さて、本日のコースは甲斐国分寺跡からスタートします。国分寺跡についてはボランティアガイドの小池さんが説明して下さいました。741年、聖武天皇が全国に発した『国分寺造立の詔』は、良い場所を選んで、国分寺を建てなさいと言うものでした。一宮町のこの地区が選ばれたという事は、当時からとても良い場所だったということなんです。笛吹市民にとっては、誇らしいことですね。国分寺跡は広くて、敷地内にはいくつもの建物の跡があります。本当に大きなお寺だった事がよくわかります。一行はまず、塔跡を見学しました。今は大きな礎石が並んで残っているだけですが、この礎石から当時の塔の高さが推測されるそうです。驚くことに40mを越えていただろうとのことです。五重の塔であったとか、七重の塔であったとか諸説あるそうですが、とにかく高い建物だったようです。その時代、官道の通っていた御坂峠から見下ろすと、この塔がランドマークとなっていたのかもしれません。旅人は、最初にこの塔を見て、甲斐の都に入ったことを知ったのではないかとのお話でした。ふむふむ…、盆地の中にそびえる塔のイメージが、頭の中に浮かんできましたよ…。塔のある都の風景って、とても素敵ですね。甲斐国分寺の周辺は、人々が往来して賑わっていたのでしょうか?想像が、次から次へと膨らみます…。

次に中門と回廊の跡を見学しました。今は基礎の石積みしか残っていませんが、回廊はかなりの長さのようで、とてもりっぱなお寺であったことが想像できます。

金堂跡は現在、発掘作業が進められています。今後の調査によって、新たな事実が発見されるかもしれませんね。

文化財課の瀬田さんが補足説明

中門・回廊跡

中門・回廊跡を見学

金堂跡

金堂跡は現在、発掘調査中。解説は文化財課の小渕さん

鐘楼門

風格ある国分寺鐘楼門

さて、一行は国分寺跡を背に、300mほど南方に歩いて移動しました。奈良時代に建立された国分寺は、兵火等により一旦衰退してしまいました。その後、武田信玄により遺跡の上に再興されたのが、現在の国分寺です。史跡整備に伴い、現在の場所に移転・再建されました。再建工事はつい最近まで行われていたので、歴史を刻んだ建材でありながら、新築の清々しさがあります。国分寺ご住職のご好意で、この日は特別に建物の中を拝見させていただきました。鐘楼門は歴史を感じさせる風格ある造りです。桃の花の時期はさぞかし、絵になることでしょう。本堂には阿弥陀如来像が安置されています。美しい廊下には、板戸があって、梅や獅子などの絵が残っています。元禄時代に描かれたものだそうで、長い年月を経てきた独特の味わいがありました。

また、薬師堂には、本尊の薬師如来が安置されているそうですが、拝することができるのは、33年に一度だそうです。次回の御開帳は2010年とのことなので、今から待ち遠しいですね。薬師如来の眷属である十二神将像は拝観することができました。鮮やかに彩色され、それぞれに表情が違います。その大きさといい、ポーズといい、とても魅力的でした。十二支を頭に戴いているので、自分の干支の神将を探してみましょう。

本堂の廊下

国分寺本堂の廊下。美しい…

十二神将像

薬師堂内の十二神将像

合掌庭園

心穏やかになる国分寺の合掌庭園

また、国分寺は、お庭が素晴らしく、『合掌庭園』と名付けられたその庭は、枯山水の中に人が合掌している姿のような石が配置されています。ほのぼのと心が温かくなる、やさしい庭景です。国分寺は桃畑に囲まれた美しいお寺です。春になったら、是非また訪れてみたいと思いました。

さて、国分寺を出て、経塚古墳へ向かいましょう。金川の森公園内にある経塚古墳は、横穴式の八角形の古墳です。国分寺の近くにあるので、「お経を納める」という意味の経塚古墳と呼ばれるようになったという説も…。

金川の森

落葉つもる金川の森

ボランティアガイド笛吹

ボランティアガイド笛吹の古屋会長(左)と星野さん

ここからはボランティアガイドの北村さんが解説してくださいました。一宮町ご在住の北村さんは、子供の頃、近所の古墳の中を探検して遊んだ思い出があるそうです…。以前はご自身も、地域の史跡については良くご存知なかったそうです。「きっと同じように知らないでいる人たちは多いだろうから、その人たちにも史跡の価値を伝えたい…」とボランティアガイドに参加されたそうです。

この古墳の材料となった石は、金川から修羅というソリのようなものに載せて運ばれたようです。横穴入口の天井になっている大きな石を載せると、全体が締まって崩れにくくなる構造なんだとか…。当時の人々は、素晴らしい技術をもっていたのですね。この地域には古墳が多いですし(毎年、2つずつくらい造られていたようです…)、古墳造りの専門集団がいたのかもしれないと、文化財課の瀬田さんが補足説明して下さいました。このようにわかりやすく解説してもらえると、古墳時代の人たちが、石を運んだり、積み上げたりする姿がイメージされて、ぐっと楽しくなってきます。残っている手がかりから、当時の人々の生活を想像することが、史跡巡りの醍醐味なんですね。身近でありながら、奥深いロマンを感じました。

経塚古墳

八角形の経塚古墳

笑顔が素敵な北村さん

国分尼寺跡

さあ、最後に巡るのは、国分尼寺です。国分寺跡の北500mに位置します。国分寺より、小規模ですが、金堂と講堂の跡が礎石としてしっかり残っています。金堂は講堂より一段高い位置にあり、位の高い建物であったことがわかります。国分寺の正式な僧が20名だったのに対して、国分尼寺の尼僧は10名だったそうです。周りには桃畑、ブドウ畑、そして菜の花畑もあって、見晴らしの良いこの地域は、春には絶好の散策コースとなることでしょう。みなさんも、是非一度訪れて、古代・中世のロマンを感じてみて下さい。

各史跡では、ボランティアガイドの方の説明に補足して、市の文化財課の瀬田さんと小渕さんが解説をしてくださいました。「ここからは私の妄想ですが…」と前置きして始まる瀬田さんの仮説を伺うと、ドキドキ興奮したり、妙に納得させられたりします。参加者のみが聞くことのできる特典です。

本日、史跡をご案内下さった笛吹ボランティアガイドのメンバーは現在20名程ですが、年間約5000人を案内されているそうです。素晴らしいご活躍ですね。石和に宿泊されている方など、1名からでも、希望があればガイドをしてくださるそうです。いつも笛吹市の魅力をPRして下さってありがとうございます!そして、これからも笛吹市のこと、私達に色々教えてくださいね。(取材:さっさ)

※ガイドをご希望の方は、笛吹市観光商工課(Tel.055-261-2034)へお問い合わせください


より大きな地図で 甲斐国分寺跡周辺の文化財 を表示

 

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